顕彰碑探訪
戦後占領下の国会で「占領軍撤退」の演説をした川上貫一
大阪市西淀川区の西淀病院の一角、淀川通りに面して川上貫一代議士顕彰碑がたてられています。
「岡山県立農学校卒、岡山県・北海道・長野県・大阪府庁で社会事業に関与、社会主義者としての道を歩むも天皇制政府により弾圧さる。大阪二区より衆議院議員に六回当選、日本共産党中央委員、国会議員団長を歴任、一九六八年九月一二日病没」が碑文。戦前、社会科学の講座を組織し、「赤旗」新聞の配布にかかわり、治安維持法違反で投獄。当時は、大阪府の社会主事でしたが、この頃の川上さんの社会事業を近年研究者の手で新たに研究評価する論文が発表されています。
戦後一九五〇年一月の衆議院での国会除名反対演説は有名です。アメリカの占領下「再軍備反対、占領軍の早期撤退」を国会壇上からおこないました。満場寂として声なく、しばらくして自民党席から「議長、こんな演説を許していいのか」と騒然となる状況。衆議院の共産党の議席が川上さんただ一人のときもあり、大阪の誇りでした。こうした川上さんが一九六八年九月和泉市議選挙の応援中に倒れ、西淀病院で亡くなりました。
七九年没後一〇年を記念し顕彰碑を建立。壁面にかざられたブロンズ像は高校野球のメダルもてがけた彫塑家の作品です。
没後四〇年にあたる今年は「偲ぶつどい」の開催が予定されています。
(大阪市山本一一・元日本共産党西大阪地区委員長)
2008年6月15日不屈(毎月15日発行)№408