「一本の道をまっすぐに生き抜いた人、北川宗藏氏を偲んで」
和歌山大学教員の大先輩にあたり、かつ本組合の創立にご尽力された北川宗藏氏の生誕百周年・没後五〇年を偲ぶ集いに参加した。北川氏は年齢的には戸坂潤よりも2、3才下であろうか。
会場には白髪の方々も多く臨席されていた。
ステージに立てかけられた遺影に目を向けると、一本の道をまっすぐに生き抜いた人柄が偲ばれるお顔をされている。
かつてのご同僚・教え子・そしてご家族の語られる「宗藏さん」は、職場でも家庭でも民主主義を貫き、科学とヒューマニズムに満ちあふれ、時勢に左右されることなく真理探究に邁進された、夫・父であり、研究者であり教師である。
鹿児島の老舗の長男として育った「宗藏さん」は、封建的な思想をまったく持ち合わすことなく、けっして女性や子どもを侮辱するような言動をとることはなかったという。
また、戦時下に投獄され過酷な目に遭っても常に思索することをやめず、節をまもり続けた。まさに、戦前・戦後と一本の道をまっすぐに歩み続けた人であった。
このような研究者が和大の大先輩でありそして組合の創設者のひとりであるということは、私にとって誇りに思えることである。
お孫さんのパントマイムを拝見しながら、「宗藏さんが生きていたら私達に何と語りかけるだろう」と想像してみた。
「宗藏さん」の遺影は「たとえどんな困難に直面しても、一本の道をまっすぐに生き抜くことです。
大丈夫ですよ、あなた達は何を言ってもやっても命までとられる心配はないのですから」。
そんな風に語ってくれるようであった。 (Y・Y)