度重なる検挙にも屈せず
佐 野 英 彦
佐野英彦は、一九〇六年、東京府豊多摩郡千駄ヶ谷町(現・渋谷区代々木)に生まれ、二〇〇一年四月二日、九十四歳で八王子市で逝去されました。
佐野英彦は、東京商科大学(現一橋大学)総長佐野善作氏の次男として生まれ、上智大学一年の時より、社会科学研究会の活動に参加し、三・一五事件直後の二八年四月、校内で検挙されました。上智大学を中退し、全協・関東出版労組本部書記、書記長、委員長として活躍されました。日本出版労組委員長、全協中央委員として活躍し、三〇年十月治安維持法違反で検挙され、懲役二年執行猶予三年の刑で豊多摩刑務所に収監されました。当時『蟹工船』の不敬罪で小林多喜二も別の独房に捕らえられていました。通算して七回も検挙投獄されましたが、不屈に闘いつづけました。
戦後は、全農労組関信支部委員長、八王子民主商工会長、東商連副会長、八王子日本共産党後援会長、八王子革新懇代表世話人などをつとめ精力的に平和・民主的運動に取り組んで来られました。治安維持法国賠同盟の創立に参加し都本部常任理事をつとめ、九三年三月八王子支部の結成に特に尽力され、市内大谷町、富士見台霊園にある市川正一の墓前祭開催を提唱し、恒例行事として実施されています。(宮田勝都本部会長)
不屈中央版 403号 2008年1月15日