顕彰碑
秋田県が生んだ革命作家
松田解子文学碑と文学記念室
松田解子さんは、一九〇五年七月、秋田県の荒川鉱山で鉱夫の子として生れた。荒川村大盛小学校卒業後、鉱山事務所に給仕として勤務しながら講義録で勉強し、秋田師範学校に入り、母校の教員となり、先輩教師や村の青年たちと文化活動をするなかで、社会主義を学んでいる。
二六年上京し、保険外交員、行商、女工などをしながら、小説の執筆をはじめ「無産者新聞」「戦旗」などに作品を発表し、検挙をくりかえしながら、特高警察の監視下で敗戦をむかえている。
戦後の四五年、日本共産党に入党し、再び執筆活動に入り、また四七年四月の総選挙で共産党から秋田県二区で立候補してたたかい、落選したが八七九四票を得ている。日本民主主義文学同盟員、詩人会議会員として活動し、小説、詩集など多くの著書を遺している。
松田さん母校の「大盛舘」には「松田解子文学記念室」が開設され、大盛舘の園庭には松田解子代表作である「おりん口伝文学碑」が建立されている。文学碑はJR奥羽本線羽後境駅から車で十五分。
(秋田県本部近江谷昭二郎)
「不屈」 中央版 391号(2007年1月15日号)