三、戦争犠牲者にたいする補償
1 外国人にたいする補償
戦前の日本には「国家無答責の原則」といって、国はどんなことについても責任は負わないという原則があり、したがって賠償や補償はいっさいおこなわないという立場をつらぬいてきました。国家賠償という考え方がとりいれられたのは、戦後の新憲法で、その第17条にはじめて国家賠償という規定がもうけられたのです。この規定はマッカーサーがしめした憲法案にも、これをうけてつくりあげられた日本政府案にもなく、また当時各政党や個人などから提案されていた各種の憲法案にもなく、政府案を議会で審議している途中でもりこまれたものです。そしてこの憲法の規定をうけて、一九四七年に国家賠償法という法律がつくられました。
しかし戦争犠牲者に対する補償はこの法律にもとづいておこなわれているのではありません。その補償は一九五二年四月に制定された戦傷病者戦没者遺族等援護法によっておこなわれているのです。ここに日本の戦後補償のひとつの大きな特徴があります。それは戦争の犠牲になったすべての人への補償ではなく、戦傷病者と戦没者遺族、つまり旧軍人とその遺族への補償だということです。この対象はのちに未帰還者や引揚者へもひろげられましたが、基本はやはり旧軍人とその遺族なのです。
しかもこの場合、旧軍人というのは日本国籍をもつものに限られています。有名な「国籍条項」がそれです。戦後の日本のさまざまな社会保障立法(健康保険、年金、児童手当、生活保護など)にっいては、つぎつぎと国籍条項がはずされていったのですが、この旧軍人についてだけは頑として国籍条項が守られています。これが戦後補償のもうひとつの特徴です。
第三の特徴は、外国人の戦争犠牲者にたいしては、政府間の賠償はすでに完了しているので、個人にたいしては補償しないといいつづけていることです。
こういう日本政府の頑固な態度にたいして、戦後四五年もたってからですが、一九九〇年からつぎつぎと訴訟がおこされるようになりました。それは一九九八年五月現在で四一件にたっしています。訴訟をおこしているのは韓国、フィリピン、中国(ホンコンをふくむ)、オランダ、イギリス、アメリカ、ニュージーランド、オーストラリアなどの元捕虜、強制連行犠牲者、従軍「慰安婦」などですが、このうちとくに問題なのは、戦時中は日本人として軍人または軍属として徴兵・徴発され、戦後は日本国籍をうしなったために補償をうけられない朝鮮や台湾の人びとです。その数は台湾人が20万7183人、朝鮮人が24万2341人、計44万9524人とされ、そのうち五万人以上が戦死しています。強制連行された人は朝鮮人が約72万人、中国人が約5万人です。これらの人びとのうち、もっとも悲惨なのは、朝鮮や台湾の出身者で日本軍人として戦争に参加し、戦後、戦犯としてとらえられ、処刑された人びとで、その数は朝鮮人戦犯148名、うち死刑23名、台湾人戦犯173名、うち26名が死刑となっています。つまり、これらの人びとは戦犯としては日本人としてあつかわれ、戦後補償については外国人として除外されてしまったのです。こういう犠牲者にたいしても日本政府はまったく心の痛みを感じないのでしょうか。
日本の裁判所はこれらの訴訟ではずっと原告敗訴の判決をくだしてきました。強制労働をさせていた企業が和解に応じて補償金を支払ったケースはありますが、国としてはいっさい責任をとろうとしていません。しかし裁判所のうちには、現在の法律では原告のいい分をみとめるわけにはいかないけれども、国としてはなんらか対応すべきだという見解をしめしたところもあり、最近になって新しい補償法を制定せよという運動が弁護士を中心にはじまってきました。
そういうなかで一九八八年に台湾人軍人の戦没者には特別立法によって弔慰金が支払われ、また、今年(一九九八年)四月、山口地裁下関支部が新しい判決をくだしました。それは釜山の元従軍「慰安婦」、元女子挺身隊員各二名が日本政府に謝罪と補償金2億8600万円の支払いをもとめていた裁判で、この訴えにたいして、元女子挺身隊員の訴えはしりぞけられましたが、元「慰安婦」にたいしては一人30万円の慰謝料の支払いを日本政府に命じたのです。30万円という金額はあまりにも少なすぎますし、また国側が控訴していますので最終的にはどうなるかわかりませんが、裁判所が、現行法では補償できないけれども、国は補償法をつくって補償すべきであるのに、それを怠ってきた「立法不作為」について国家賠償の義務があるというのが判決の理由です。こうして、外国人にたいする補償の問題にようやく少し風穴があいたのが現状です。