横浜事件 裁判所は過去に向き合え
弁解ばかりが目立つ中途半端な判決に失望せざるをえなかった。「横浜事件」の再審で横浜地裁は、有罪でも無罪でもなく、法律論で裁判を打ち切る「免訴」というわかりにくい判決を出した。検察側の主張通りだ。
横浜事件は戦時下で最大の言論弾圧事件といわれる。1942年から45年にかけて、出版社員らが「共産主義を宣伝した」などとして治安維持法違反の容疑で逮捕された。拷問でやむなく自白したが、事件は神奈川県警特高課の完全なでっち上げだった、というのが戦後の研究の定説だ。
警察による拷問は凄惨(せいさん)を極め、4人が獄死した。昨年3月、再審開始を認めた東京高裁の決定は、こう記載している。
「裸にして縛り上げ、正座させた両足の間に太いこん棒を差し込み、膝の上に乗っかかり、ロープ、竹刀、こん棒で全身をひっぱたき、半失神状態に……」
長く拘置所に閉じ込められた人たちが解放されるのは敗戦の直後だ。連合国軍の進駐が迫ると、責任の追及を恐れたのか、裁判所は形だけの公判を開き、執行猶予付きの有罪判決を乱発した。
拷問に手をそめながら戦後は口をぬぐった警察官だけでなく、それを容認した裁判官や検察官にも責任がある。
元被告たちが名誉回復を求めて再審を請求したのは86年だった。再審が認められるまでに元被告は全員が死亡して、請求は家族が引き継いだ。
今回の再審判決は司法としての反省を率直に語る60年ぶりの好機のはずだった。しかし、横浜地裁は「すでに治安維持法は廃止されている」との形式論で、有罪か無罪かに踏み込まなかった。
そのうえで、判決は「特殊な状況下で訴訟記録が廃棄され、再審開始が遅れたことは、誠に残念」などと他人事のように述べた。しかし、その記録は敗戦直後に司法当局の手で焼却されたと見られているのだ。
横浜事件は治安維持法の存在する旧憲法下で起きた。戦争を遂行するための言論統制だった。もちろん、現在とは状況が大きく異なる。
だが、過去の誤りをきちんと見つめようとしない現在の裁判所にも、どこか危うさが感じられる。
今でも密室での取り調べには、無理な自白を強要する恐れがつきまとう。捜査当局は逮捕、勾留(こうりゅう)によって自白を得ようとする。否認すれば、裁判所は長期にわたって保釈を認めない現状がある。
裁判官が勾留請求を却下する率は1%にも満たず、捜査当局の言いなりではないのか、と指摘されている。判決までに被告が保釈される率は、70年代には50%を超えていたが、現在は10%台にまで下がっている。
日本の裁判所が、人権感覚を磨いていくには、横浜事件などを防げなかった過去に向き合って、謙虚に教訓をくむことが不可欠だ。再審の控訴審には、そうした姿勢を求めたい。
2006.02.10 asahi.com 朝日 社説