ツルシのぶらり探訪
東京・江東区 震災・戦災の下町へ
江戸深川のぶっかけめし
東京都江東区亀戸にある浄心寺では、毎年9月に亀戸事件追悼会が開催されています。その実行委員長・東巨剛さんの案内で同寺を訪れました。
境内の墓地に立つ「亀戸事件犠牲者之碑」。1923年9月1日、死者・行方不明者12万人余の関東大震災が発生し、「朝鮮人、社会主義者が井戸に毒を入れた」などのデマが流布。多数の在日朝鮮人や中国人が警察・軍隊・自警団によって虐殺されました。
震災前年に創立した日本共産党を弾圧の対象にしていた警察は、混乱に乗じて軍隊と一緒になって社会主義者も狙い撃ちします。南葛地域(現在の江東区・墨田区)の労働運動の青年活動家など10人が亀戸警察署に連行され、軍隊に虐殺されました。これが亀戸事件です。当時21歳、被災した3人の幼児を救出した川合義虎(日本共産青年同盟・初代委員長)も犠牲者の一人です。
隅田川と荒川に挟まれ東京湾に面した南葛地域は水運を利した工場地帯で、先進的労働運動の拠点でした。「事件後、治安維持法が制定され戦争へ引きずりこまれた歴史から見ても、亀戸事件は活発化する革命的な運動を双葉のうちに摘み取ろうとした権力犯罪です」と東さん。警察・軍隊の責任は「戒厳令下では必要な処置」と不問にされました。
隅田川と荒川を直線で結ぶ運河・小名木川を渡り、東京大空襲・戦災資料センターに向かいました。太平洋戦争期、東京は100回以上の空襲を受け、市街地の半分を焼失。特に1945年3月10日未明の東京大空襲では下町地区が火炎地獄と化し、100万人超が罹災、推定10万人の命が奪われました。
「民間人がこうむった戦禍の資料を収集、実証研究し、その成果を後世に伝える活動に取り組んでいます」とガイドさん。
ある地域の空襲犠牲者の年齢分析データに注目しました。犠牲者の半分は0~29歳。男手を戦争に取られ、乳飲み子を背負い、すさまじい火炎の中を逃げ惑う母子の姿が目に浮かびます。一方、日本が日中戦争期に中国の重慶を空爆した加害者であったことも展示していました。
権力の蛮行、戦禍のむごさを記憶に留め、富岡八幡宮へ。境内には、空襲で木肌を焼かれ幹が裂けても生き延びた被災樹のイチョウが。葉が青々と茂り、何かを語り継いでいるかのようです。
帰路「深川めし」屋で、まずは冷えたビールをゴクリ。江戸時代の深川漁師の賄い飯「ぶっかけめし」を豪快に食べました。
ツルシカズヒコ
【交通】浄心寺はJR総武線か東武亀戸線の亀戸駅から徒歩10分。東京大空襲・戦災資料センターは都営新宿線の住吉駅、西大島駅から徒歩20分。富岡八幡宮は東京メトロ東西線・門前仲町駅から徒歩3分
【問い合わせ】「亀戸事件93周年追悼会」は9月4日(午後1時~3時)浄心寺で。同実行委員会℡03(5842)5842。東京大空襲・戦災資料センター℡03(5857)5631。開館は水曜~日曜の正午~午後4時
( 2016年09月01日,「しんぶん赤旗」)