小林多喜二、退職ではなくクビだった
拓銀資料から判明
(写真・小林多喜二)
北海道小樽市に住み、特高警察の拷問を受けて昭和初期に死亡した作家、小林多喜二(1903~33)は、勤務先の旧北海道拓殖銀行から、「蟹工船」などプロレタリア文学の執筆を理由に解雇されていた。これまでは「依願退職した」という説も有力だったが、破綻(はたん)後の残務整理をしている拓銀から内部資料の複写の寄贈を受けた市立小樽文学館が、「解職」と明記された文章を発見した。
複写は「行員の賞罰に関する書類」の一部。多喜二は当時、拓銀小樽支社で書記をしていたが、1929(昭和4)年11月16日の発令で「依願解職」(諭旨)となっていた。
解職の理由として「左傾思想を抱き『蟹工船』『一九二八年三月一五日』『不在地主』等の文芸書刊行書中当行名明示等言語道断の所為ありしによる」ことを挙げ、欄外には「書籍発行銀行攻撃」と書かれていた。退職手当金も「1124円14銭なるも半額の560円給与」と記されている。
(写真・解職の理由が書かれた内部資料のコピー)
文学館の玉川薫副館長は「多喜二が辞めた本当の理由がわかる大変貴重な資料だ」と話している。
複写は今夏、辞令書割り印簿や職員表などとともに寄贈された。文学館は11月3日から資料を公開する。
asahi.com 文化 2005年10月30日15時50分