インタビュー「戦争する国許さない」
その18岩手県旧千厩町(現一関市)元町長
熊谷儀一さん何でも可能は"蜃気楼"安倍晋三首相のやり方はずいぶんと強引で、油断ならないですね。"最高責任者は私"と言い、選挙に勝てば、集団的自衛権の行使を容認するための憲法解釈の変更でも、なんでもできると思っている。内閣法制局長官も代えたりしてね。
でも、それは彼の錯覚、蜃気楼みたいなものじゃないですか。自民党内からも異論が出てきたようですが、世論調査でも多くの人が反対しているでしょう。安倍首相が見ているその蜃気楼は、国民の包囲網で早く打ちかなければなりません。
情を殺して生活私は17歳で終戦をむかえ軍隊には行きませんでしたが、戦争でいとこが4人死にました。
小学生のころ、出征する兵隊さんを大勢見送りました。当時は日常の風景で当たり前のように思っていました。兵隊さんの親や妻はつらかっただろうけど、悲しい涙を流す姿はみたことがなかった。今思えば、人間の情を殺して生活しなきやいけない世の中だったのだから恐ろしい時代でした。
終戦を伝える玉音放送を、朝鮮半島から連れてこられた人たちと一緒に聞きましたが、放送後、朝鮮の人たちが暴れるように解放の喜びを全身で表した姿を私は忘れられません。その姿から、それまでの日常の風景が異常で、戦争が間違いであることを感じたのです。
憲法守れを強くそんな戦争を終え、平和の原則を高らかにうたう憲法を日本は持ったのですから、私は、憲法は立場を超えて守らなければいけないものだという気持ちが強くあります。
私は、地域の9条の会と岩手県・農法を活かす首長の会に参加しています。町長時代には自民党から応援を受けることもあり、初めての町長選でたたかった相手は日本共産党の千田富男さん(故人)でした。千田さんとのちに食性を守るために一緒に活動することになるとは、その時は思いもしませんでしたね。
東日本大震災の時、沿岸部に災害救助に向かう自衛隊の車がたくさん千厩町を通りました。あの時、自衛隊員は生命と財産を守るために能力を最大に発揮した働きぶりだったと思います。自衛隊の災寄救助の力こそ発展させるべきです。アメリカと一緒に戦争し、他国の人を殺し、殺されるかもしれないようにするなんて、誰も望んでいないと思うのです。
聞き手、前野哲朗
くまがい・ぎいち 岩手県旧千厩町元町長。
地方自治に日本国憲法の理念を活かす岩手県市町村長の会運営委員
(2014年04月09日,「赤旗」)