インタビュー
「戦争する国許さない」その21
学習院大学教授(憲法学)青井未帆さん9条のめざす「平和」とは「集団的自衛権行使容認」へ。これだけで10文字です。わかりにくいですよね。
少し不正確かもしれませんが、「海外で武力行使ができる国」に変える。ここがポイントであり、問題だと思います。
「海外で武力行使ができる国」になったときにどうなるのか。そこに想像力を働かせる必要があります。
残忍な「平和」に安倍晋三首相は、現実に人が血を流しあう日米同盟にしなくてはいけないと著書で書いています。「死が近くなる」ということの社会や文化への影響は、想像できないほど大きいのではないでしょうか。
サダム・フセイン(元イラク大統領)が処刑されたとき、「USA」と歓喜する米国民の映像に、私も周りも違和感を覚えました。「死が近くなる」とは、例えるなら、そういう違和感がなくなる社会。社会的・経済的な弱者の命を戦場で犠牲にして世界の秩序を維持し、それを「平和」と呼ぶ社会でしょうか。
私たちが考えてきた「平和」が残忍なものに変わっていく。それは恐ろしいことです。
憲法9条の「平和」がそんなものとは違うものとして理解されてきたことは間違いありません。9条が目指すのは、「力による世界Jを変革していくことです。
理想掲げてこそ平和を目指す世界の大きな流れを見たとき、そこに向かう理想や理念は決しておろしてはいけない。米国やロシアのような国際法違反の行為が「批判されてしかるべきy」という視点がなくなることこそ、何よりの後退です。
第1次世界大戦以来、長い目でみれば、国家を超えた枠組みで人権が実現し、NGO (非政府組織)の果たす役割も大きくなっています。武器取引でも国際的に規制をかけていく流れがあります。安倍首相の「積極的平和主義」は、その流れとは逆の方向を向いています。
先日決めた武器輸出の新原則でも9条の理念が後退しました。新たな基本理念「国連憲章を順守する」とは、日本が地球上の一番大きなルールさえ守っていればいい、ということです。そんな考え方が平和国家の理念ではなかったはずです。
国民の合意も経ないまま国の形を変える、その手続きにも、中身にも、私は反対です。
聞き手 池田晋
あおい・みは
著書『国家安全保障基本法批判』『意法を守るのは誰か』など
(2014年04月20日,「赤旗」)