顕彰碑探訪
千葉十七と安重根墨書の碑
韓国併合100年は韓国独立運動の義士・安重根処刑100年でもあります。
1909年10月26日、安重根がハルビン駅頭で伊藤博文を射殺しました。
旅順監獄での安の看守役を務めたのが宮城県栗原市出身の千葉十七でした。
千葉は当初、安に対する憎しみに燃えていましたが、安の祖国に対する思い、取り調べや裁判の中で堂々と伊藤博文の罪状を述べる態度、礼儀正しい清潔な人柄に次第に敬愛の念を覚えるようになり
ました。
事件から5ヵ月後、1910年3月26日の処刑の朝、安は「偽国獣身軍人本分」という言葉を墨書し千葉に贈りました。
間もなく千葉は職を辞し故郷に戻りましたが、安の遺墨を前に冥福を折り続けました。
千葉は1934年に亡くなりますが、その後を遺族が守り続けます。1979年、安重根誕生100年式典の報道に接した千葉の遺族が遺墨の存在を明らかにし、韓国に返すことになりましたが、その代わりに千葉の眠る栗原市「大林寺」境内に遺墨を刻んだ碑が建てられました。
碑の裏面には当時の山本県知事の「日韓両国永遠の友好を祈念」する碑文が刻まれ、以後毎年9月追慎会が聞かれています。
(宮城県本部 根太京子)
不屈(毎月15日発行)№439 2011年1月15日