顕彰碑探訪
非転向を貫いた
勝又松太郎の墓碑
昨年11月20日、同盟員で日本共産党五条市議会議員大谷龍雄氏とともに、五条市中之町在住の刃谷敏明氏の案内で、金剛山の南斜面に立地する西山墓地にある勝又松太郎のお墓にお参りすることができました。国賠同盟奈良県本部として、治安維持法犠牲者の事績を調査・研究・顕彰する一貫として実施したものです。
勝又は農民運動の活動家。3・15事件で逮捕・起訴され、刑期は2年でした。また、1932年の8・30弾圧事件でも検挙され、起訴は免れたが県下各署をたらいまわしされたと伝えられており、1938年11月10日、37歳で病死しました。
「春日庄次郎外98名治安維持法違反被告事件予審終結決定書」には、「本籍、奈良県宇智郡牧野村大字中之一六一番地、住所、同上、旧全日本無産青年同盟奈良県支部執行委員、勝又松太郎、明治32年12月生」(『現代史資料』みすず書房)と記されています。
昨年秋、大谷氏が勝又の縁故者である刃谷敏明氏を訪ねあて、お墓の所在を確認していたものです。
墓参の後、刃谷氏は、「私の祖母が勝又家の出です。長兄・松太郎とともに眠る亀次郎は次男の弟です。この墓石は三男の弟寛次朗が建てたものです」と語っておられました。
奈良県本部 田辺実