不屈の革命的労働者
永村徳次郎
熊本で活動した初めての共産党員永村徳次郎の顕彰碑は、熊本市の北部にある龍田山の市営浦山墓園(熊本市黒髪七丁目)の一角にある永村徳次郎の墓地に建立されました。
当初永村徳次郎の墓がどこにあるか解りませんでしたが、同盟県本部梶原会長のかつての同級生が徳次郎の甥に当たることが解り、場所を教えてもらい、梶原会長と一緒に探して回りやっと見つけました。その墓は永村ではなく「荒尾家の墓」でした。永村が三・一五で逮捕された後、永村の兄常次郎を含む一家5人は永村の姓を荒尾に変えさせられたと言う事実も明らかになりました。
遺族のご了解を得て荒尾家の墓の一角に標柱「不屈の革命的労働者ここに眠る」と碑文を刻んだ石碑を建てることが出来ました。画家宮崎静夫氏に揮毫をお願いしました。二〇〇七年一月二十六日に除幕しました。
碑文には「一九〇〇(明治三三)年九月、父八十母チヨの子として生まれ、黒髪尋常小学校卒。坪井郵便局、熊本市電で働く。市電初のストライキを指導、検挙さる。合同労組委員長、労農党県支部委員長など歴任。二八年日本共産党に入党。同年四月治安維持法違反で検挙(三・一五事件)、懲役三年六ヶ月。出所後、一九三八(昭和十三)年十一月十二日、特高の拷問の後遺症で死去、三十八歳。二〇〇六年十二月永村徳次郎顕彰碑建立実行委員会」と刻まれています。(熊本國宗直)
2009年9月15日不屈(毎月15日発行)№42