時の焦点
亀戸事件
九月六日東京亀戸の赤門浄心寺で亀戸事件八六周年追悼集会が開かれ、同盟代表も協賛団体として、あいさつし、誓いの言葉を霊前に捧げました。
亀戸事件。一九二三年九月一日発生した関東大震災のさなか、パニック状況を悪用して軍隊・警察の国家権力が、当時の共産青年同盟委員長の川合義虎はじめ労働作家平沢計七など十名の労働運動活動家を虐殺した事件。
同時に、独立運動弾圧と排外思想鼓吹のため朝鮮人・中国人を一挙に六千五百名を惨殺した事件、そして無政府主義者大杉栄一家を殺害した事件とともに、権力犯罪として日本の近現代史上ぬぐいきれない歴史的汚点を遺したのです。
亀戸事件の場合、十名の活動家は災害救助活動中にもかかわらず亀戸警察署内に拉致され、習志野連隊により刺殺または斬殺されました。銃殺では音が聞こえて市民に知られることを恐れたからです。しかも一ヵ月以上も報道を規制して虐殺の事実を隠蔽し、安否を気遣う家族を苦しめぬいたのでした。
真相の究明と遺体の引き取りを要求する遺族にたいして、実際は犠牲者十名にかかわらず九名とだけ確認されていた当時の状況に、亀戸警察は大量の朝鮮人を虐殺して仮埋めにした荒川土堤から、だれのものともわからない遺骨九体を掘り出し、遺族に「引き取れ、さもなければ『行きだおれ』として処分する」と脅迫したのです。
その後数十年たって民主勢力の調査の結果犠牲者は十名と判明しました。員数合わせの九体の数自身に明白なように、犠牲者と家族は、虐殺とその後の処置も人間としての尊厳が冒涜されました。
国民の自由を奪い侵略戦争に駆りたてた治安維持法は、亀戸事件の一年半後強行制定されました。あれから八六年たった今日、亀戸事件が「戦争と暗黒時代の前兆」となった痛恨の歴史的教訓を忘れ
ることができません。(元)
2009年10月15日不屈№424(毎月15日発行)