2010年4月15日 不屈 №430主な記事
●混迷する政治情勢の下 国会請願署名の成功を……………
●署名運動各地の取り組み………………………………………
●顕彰碑/静岡県解放戦士の碑…………………………………
●時の焦点 /3・15 4・16大弾圧事件…………………………………
●抵抗の群像/安部マサさん・東京……………………………
●同盟歌壇/碓田のぼる選………………………………………
●「不屈」地方版より/女性部の活動…………………………
編集発行人針谷宏一
治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟
〒1 1 3 - 0 0 3 4
東京都文京区湯島2-4-4
平和と労働センター・全労連会館
電話0 3 ( 5 8 4 2 ) 6 4 6 1
F A X 0 3 ( 5 8 4 2 ) 6 4 6 2
http://www7.plala.or.jp/tian
2010年4月15日不屈 №430
混迷する政治情勢の下
国会請願署名の成功を5月13日国会請願行動もあと一カ月後に迫っています。
鳩山内閣は、今日の最大の政局となる普天間基地撤去問題について「沖縄県民の意向を尊重する」と言いながら、「アメリカにも沖縄県民にも受け入れられる案を」などと曖昧な主張を繰り返しています。また、「日米安保条約」改定50年を迎え多くの国民が抜本的な改定、地位協定の大幅見直しを求めていることにも目をそむけています。子ども手当、高校授業料無償化など国民生活の問題では、部分的に前進面はありますが、労働者派遣法、後期高齢者問題など国民の期待に応えられず迷走を続けています。
いま、鳩山内閣は、普天間基地問題でも、国民生活問題でも、日本国憲法を基軸に、新しい日本を探求することです。
同盟は、昨年10月全国大会以後、全国各地で各党国会議員を訪問し、地方議会への請願、他団体との共闘を広げ、国民の要求で政治を変える大きな流れの中で同盟運動の前進のために力をつくしてきました。
国会請願を目前に、これまでの活動をさらに強化し、署名の促進と国会請願の成功のために奮闘しましょう。
2010年4月15日不屈 №430
国会請願の日まであと三〇日
すべての会員に一枚の署名を相手の要求署名にも応えて
北海道・札幌支部3月20日に1万を超えました。その原動力は毎週1回の役員会です。経験交流、到達点と新たな課題を話し合い、次の目標を決めます。その中で1人で2百筆、3百筆という会員も増えてきました。
多いのは労働組合、新婦人、勤医協友の会など諸団体からの署名です。団体訪問する際に署名用紙と切手不要の返信用封筒を置いてくるのはもちろんですが、その時必ず聞くことがあります。それは、その団体が当面している要求です。
そのための署名用紙をもらってきて、同盟会員も署名して送り返します。互いの要求を共に連帯して闘う活動の中で国賠署名も毎日のように送られてきます。電話で訴えるときも必ず相手の要求を先に聞きます。
何よりも決めた目標1万2千筆は必ずやりきるという姿勢が支部役員の中にみなぎっていることが札幌支部前進の力になっています。
全会員の総行動を訴えて
青森県支部の取り組みが始まったのは08年の国会請願に向けた時期からです。これまでも「不屈」に署名用紙が同封されると、いち早く届けてくれる会員はいたのですが、組織的な取り組みにはなりませんでした。きっかけは県大会や理事会に出席して、弘前支部など各地の経験を学ぶことが出来てからです。昨年は県本部の期待目標を倍加することが出来ました。到達状況をニュースにして会員に届けたことが励みになったと思います。
現在66%の到達、残す期間で達成したいと思います。牽引車の弘前支部に励まされて県本部全体の到達率は現在80%。残り20%をお花見、メーデーなどの機会を生かし、全会員の総行動を訴え、一〇〇%達成をめざします。
署名は顕彰活動につながる
山形県県大会で団体と個人の目標を決定し、第1回目の理事会で各支部の到達目標を決定して、取り組みが始まります。基本的な取り組みは、①会員1人10 筆②友好団体への署名協力要請行動を行います。③署名中間到達目標を決め、全体の集約状況をはっきりさせて、次回の集約日まで目標を決めて進行状況を把握します。各支部によって多少の差はでますが、ほぼ中間目標通りに進行しています。
特徴的な取り組みをしている山形支部は、市議会で国への「意見書」が全会一致で採択された時の総務委員長に依頼して、今年度は800筆を超える署名を集約してもらいました。各支部も「母親大会」「重税反対集会」「反戦記念日」等の街頭署名でも集めています。そのメリットは、市民との対話によって「情勢の変化」や「関心事がわかり」、ときには共感の「プレゼント」なども頂くことがあり、運動の活力になるなどしています。支部の活動交流、進行状況の把握が土台だと感じています。
さらに署名の意義は、犠牲者と今を生きる私たちと結びつける顕彰活動につながったものだと考えています。
年内署名目標2支部達成
岐阜県県本部は年内目標50%、3・15までに75%達成を目標に取組んできました。年内目標50%を中濃、東濃西の2支部が達成。2月1日現在、全体で42%の水準です。年内50%を達成した東濃西支部では、会員を一気に15名拡大。年末の署名目標達成に「機関車」の役割を果たされた女性部長Kさんの奮闘によるものです。署名取り組み会員を広げながら「機関車」の役割を果たす会員さんの力で目標達成をめざしたい。
神戸中央支部が目標達成
兵庫県神戸中央支部が1千筆の目標を3月30日達成。各支部でも県目標1万5千筆の達成めざして、団体と会員の署名協力を拡げています。
3月12日の重税反対統一行動では、9会場で延べ26人が、神戸中央支部の200筆をはじめ過去最高の1194筆を集めました。
尼崎支部では3月12日午後と夜の2回の集会で378筆をはじめ今年の共産党後援会山宣ツアーで160筆、4ヵ所の保育所から340筆等1700筆(目標の80%)明石支部では今年も東播建設労組の集会17会場で1300筆等2300筆(目標85%)に到達、支部では人口比1%(2900筆)に挑戦しようと明石駅前での宣伝、署名に取り組み、昨年の12月8日に続き、3月15日には横断幕をつくり、独自ビラ170枚を配布、署名34筆を集めました。(写真)
なお4月16日にも行います。
もう一回り署名の枠を拡げて
岡山県2月末時点では県本部目標1万筆に対し、その到達率は60%にとどまり、4年連続の目標達成が危ぶまれる状況です。とくに中心をなす岡山支部の奮起が「カギ」となっています。そうした指摘を受けた3月7日の岡山支部役員会では、「岡山支部の目標達成なしには県同盟の目標達成はありえない」と論議を深め、友誼団体への再協力要請、春闘や納税カンパニヤ会場での署名行動。そして支部役員が分担して会員や協力者に直接訴えようと意思統一。約60人の対象者をあげ返信用切手を入れた手紙を出したり、電話で要請したり、直接訪問してお願いするなど、3月20日時点で30数名に訴えています。こうした中から訴えを受けた6人の会員や協力者から240筆の署名が届けられています。岡山支部では、さらに対象者を広げて
みんなの力で必ず目標を達成しようと役員会以降1000筆を超え、県7000筆目標に対してあと1600筆と目標に接近しています。
7割の会員が署名に参加
滋賀県国賠署名3153筆(目標4000、79%)に到達しています。3月21日に開いた県本部幹事会で、メーデー当日に目標を達成すべく奮闘することを決意しました。
湘北支部は目標450筆に対して397筆を集約、「支部ニュース」で「目標達成へもう一回り拡げて3月中にあと53筆」とよびかけています。支部では民商の集会や地域母親大会でも署名を訴えてきましたが、73%の会員が署名に取り組んでいることが力になっています。地域でつながる人たちに10筆、20筆と署名を拡げています。
大津支部では幹部、女性会員が積極的に署名に取り組み、「赤旗」読者を訪ねて署名を集めた会員、集会や地域で79筆集めた夫婦会員。支部では改めて署名用紙を届け1000筆(現在669筆)達成へ力を入れています。
柳河瀬会長の講演に学び
鳥取県個人署名は2月末で目標の69・2%、高教組、JR総連等新たな労組の協力などの前進もありながら、全体としては会員の病気・高齢化と国賠法実現の「見通し」への不確信などから取り組みへのマンネリ的傾向もあって、前年同月より遅れた状況になっています。
これらの克服のため、1月23・24の両日2地区で柳河瀬中央本部会長を迎えて「同盟運動を国民的運動に」の学習講演会を開催、54名が参加しました。これを力に、全会員参加の運動(署名未提出者への訴えの手紙を届ける)、協力団体・個人のさらなる拡大、4月18~5月1日3地区での「鶴彬」映画上映の成功と
結んでの取り組みなど強めながら、昨年に続いて目標を達成し、国会請願を成功させたいと奮闘中です。
2010年4月15日不屈 №430
水車埼玉県の大宮に「治安維持法犠牲者」の肖像画を描き続けている「美術家集団」がいます。大宮平和美術会(鯨井洪代表)です▼毎年開催される美術展の中にある「肖像コーナー」は閲覧者の目を惹きます。かつて「国賊」と言われた人々の略歴付きの肖像画の展示にイチャモンをつける人も時には現われると聞きました。しかし動じる様子はありません▼「かつて戦争は日本の美術を傷つけ破壊した。戦争に反対することは美術家の責務」、「戦争に反対した人々を描き顕彰することは〝真の平和〟を求めている証」と意気軒昂です▼「無言館」をふくめあの侵略戦争に反対して弾圧されながら闘い、今日の日本国憲法の礎となった多くの画家がいました。広島で被爆し、「核抑止」論を批判し、「平和憲法は歴史に残る」と語った故平山郁夫さんの思いと重なります▼毎年千人近い入場者があると云う「大宮平美」の五月例会の盛会を願っています(池)
2010年4月15日不屈 №430
「2010年滋賀・多喜二祭」
今に生きる多喜二の志と文学の魅力多喜二虐殺77年目となる2月20日、大津市で同盟県本部の主催する「2010年滋賀・多喜二祭」が開かれ、31人が参加しました。
DVD「いのちの記録~小林多喜二 29歳の人生」を鑑賞。画面に繰り広げられた多喜二の田口タキに対するひたむきな愛、貧しさからの解放を願う多喜二文学、29歳で特高警察によって命を断ち切られた多喜二を偲ぶ人びとの姿に、参加者は「今に生きる多喜二」を実感しました。
ついで大阪大学大学院文学研究科教授の出原隆俊氏が「多喜二作品の魅力について」と題して講演しました。出原氏は、恵まれない女性を描いた多喜二の初期作品が芥川龍之介や樋口一葉などの作品に学んでいること、現実の民衆をとらえる視点に立っていることなど指摘、「その視点は労働者の運動をとらえるのに生かされている」と評価しました。また「一九二八年三月十五日」の母親、「工場細胞」の職場と職工の描写などを紹介、「説明でなくリアルな描写となっており、文学的達成度も高い」と作品の魅力を紹介しました。
(「不屈」滋賀県版より)
多喜二の政治的開眼
東京の多喜二祭22回を迎えた東京の「杉並・中野・渋谷多喜二祭」は2月25日開かれ、400名が出席。作家能島龍三さんが記念講演として田口タキとの交情を通じて多喜二の社会的・政治的開眼を作品深化の過程とともに紹介されました。村上弦一郎さんのピアノ独奏も圧巻。第1回の記念講演の松田解子さんの「当日の日記」や「伊勢崎・多喜二奪還闘争」も報告されました。
2010年4月15日不屈 №430
第63回解放運動合葬追悼会開く第63回解放運動無名戦士合葬追悼会が3月18日東京新宿の日本青年会館で行われました。今回、新たに合葬されたのは、犠牲者で同盟顧問の松崎濱子さん、同盟運動にお力添えを頂いた吉岡吉典さんら多くの同盟関係者を含めた一〇二九人です。
第1回からの合葬者総数は3万7415人となります。追悼会のあと参加者は、青山墓地の解放運動無名戦士の墓まで歩き、献花しました。
2010年4月15日不屈 №430
静岡市あたご霊園内に
「静岡県解放戦士の碑」「静岡県解放戦士の碑」は1948年の第10回メーデーにおいて、静岡県解放運動旧友会が提起した、戦前戦中の活動家に対する顕彰の碑を建てることが決議され、建立運動が開始されました。
静岡県解放運動旧友会は、1945年(終戦)の10月18日に、1929(昭4)年の静岡市議選で二位当選を果たしながら、直後の4・16弾圧によって検挙投獄され、議席に着くことなく逝かれた松田辰雄氏の三回忌の法要に集まった活動家によって結成されました。当初の名称は「旧友クラブ」でしたが、静岡県解放運動旧友会と改称し、後に治安維持法国賠同盟静岡県本部に発展しました。
建立運動は、アメリカ占領軍のもとで、レッド・パージ、朝鮮戦争と日本共産党半非合法化などの攻撃により困難に直面しますが、1969年3月15日、静岡市あたご霊園内に建立・除幕されました。
合葬追悼会は、日本共産党、社会党、静岡県評、旧友会等により1969年の第1回から1987年の第6回まで行われた後、社会党、旧静岡県評の革新戦線からの脱落の影響をうけ6年間中断しました。1993年、第7回合葬実行委員会を革新団体が組織して合葬追悼会が再開され、昨年11月29日には第19回合葬追悼会が開催されました。
(静岡県本部会長土屋貢)
2010年4月15日不屈 №430
時の焦点
4・1 6 大弾圧事件前年の3・15大弾圧事件に引き続き1929年4月16日、日本共産党への大弾圧が強行されました。4月16日を皮切りに数ヵ月にわたり弾圧は続き、約1000名が逮捕、295名が起訴されました。
3・15事件の時は逮捕者が約1600名と多数でしたが、当時特高警察の弾圧体制が未確立のうえ、情報も不確かで、日本共産党の主要な幹部・活動家は難を免れることができました。
しかし1年の間に特高警察網を全国に張りめぐらすとともに、治安維持法を死刑法に改悪し、北海道から鹿児島まで全国的に日本共産党撲滅にのり出してきたのです。市川正一や上田茂樹はじめ福本和夫、三田村四郎、鍋山貞親、佐野学など当時の主要な幹部が逮捕されるとともに砲兵工廠、印刷局、海軍工廠、鉄道従業員などの官庁細胞(今日の支部)、民間では芝浦製作所、石川島造船所、共同印刷などの拠点細胞組織が狙われ、中心的活動家が根こそぎ検挙されました。
当時の新聞報道を調べていくなかでこんな事実も知りました。
事件が一段落した8月1日、警視庁の会議室では、丸山警視総監、中川東京都知事、塩野検事正はじめ管下70の各警察署長が列席して、あるセレモニーが盛大に開かれていました。それは特高警察官の表彰式。3・15事件から4・16大弾圧を強行して日本共産党壊滅に貢献したとして、浦川秀吉や毛利基など10名の特高警察官へ功労記念賞と特別賞与が授与されました。なかでも最も蛮勇をふるって悪逆非道な拷問を指揮した浦川と毛利には300円という破格な特別ボーナス。金の出所は今日で言う「機密費」でした。東京府内の各警察署でもこれをみならって282名に特別賞与、150名に賞詞が贈られていました。まさに特高警察官を鼓舞激励してはばからない、天皇制支配政治の実態を示す出来事でした。(元)
2010年4月15日不屈 №430
共産青年同盟加入だけで
懲役2年の判決
安部マサさん安部マサさんは1911(明治44)年7月11日、福島県白河の東南約22キロ、茨城県境に近い小さな城下町、磐城棚倉の造り酒屋に生まれました。
1928(昭和3)年に棚倉高女を卒業、翌年の秋に上京、姉夫婦のところに同居して、タイピスト学校やキリスト教系の英語の専門学校に通いました。向学心に燃えていた彼女は、それだけでは飽き足らず、明治大学受験の準備をひそかに始めていましたが、しかし、それに気がついた姉に「女が大学に行くなんて、とんでもない、やめなさい」と反対され、仕方なく彼女は三菱商事株式会社の本社に就職しました。1929(昭和4)年のことでした。三菱の会社は東京駅の真ん前、丸ビルの隣にありました。その脇は見渡すかぎりの原っぱで、当時「三菱が原」と呼んでいました。彼女の初任給は30円なので、好きな本も職場に出入りしていた本屋から自由に買うことができました。
勤めて1、2年すると、東北地方の大飢饉がおき、娘がどんどん身売りされていく…。どうしてこんなことが起こるのだろうと、彼女は考え込んでしまいました。そんな時、月刊雑誌『改造』に載った河上肇の「第二貧乏物語」に出あい、感銘を受けて左翼運動に関心をもちはじめました。
三菱の職場では、当時毎月何回か開く読書会があり、彼女も入会し、音楽や演劇のサークルにも参加し、山本安英さんが舞台で活躍していた築地小劇場にも行きました。劇場の入り口では、行くたびに横柄な巡査が立っていて、かならず持ち物検査をやるのです。劇場の中に入ると、そこにも巡査がいて、いきなり「演劇中止!」と叫んでやめさせてしまうのです。
彼女は、これが悔しくてなりませんでした。
職場には学習サークルもあり、彼女がとくに楽しかったのは、中条百合子さんが指導していた文学サークルでした。職場の仲間達にこれといった指導者はいませんでしたが、仲間は面白いように増え、やがて「こんな労働組合があるから、みんなで入ろうよ」ということになり、「全協一般使用人組合三菱商事分会」が結成されました。1930年の年でした。
しかし労働組合を結成して1年もたたないうちに弾圧され、10 人ほど捕まりましたが、結局その人たちは全員クビになりました。マサさんはただ1人の共産青年同盟員(彼女を共青に加入をすすめたのは長谷川寿子さん=戦前京浜工業地帯でオルグをして検挙された=であることが戦後になってわかりました)でしたが、マサさんはクビを切られて職を転々としていましたが、共青の活動はますますふえていました。野呂栄太郎の夫人塩沢富美子さんを自室にかくまったのもその頃でした。
ある日街頭での連絡をする時、待っていた相手の隣に並んでいたのが、以前逮捕された時に取り調べた野中という特高刑事だったのです。スパイの手引きだったのです。その場で2度目の逮捕となりました。
安部さんは取調べに対しては最初から反抗的でした。すると野中はいきりたって棒で力まかせに叩き、「お前みたいな国賊は叩っ殺したっていいんだぞ!」と叫んでいました。
そのうち警察は母親を呼び出し、泣き落としをかけてきました。それでも彼女は顔を上げ涙もぬぐわずに「お母さん、私はなにも悪いことはしていないのよ」と母に言いきるのでした。
結局、共青のメンバーであったというだけで2ヵ月近くの警察のたらい回しのあげく杉並警察署で起訴され、懲役2年執行猶予3年の判決をうけたのです。
(同盟東京・足立支部『治安維持法下の青春時代』より要約)
2010年4月15日不屈 №430
同盟歌壇 碓田のぼる選和歌山県中平喜祥
髪を刈るハサミの音を聞きながらひととき遠き日を思いおり
〈評〉忙中閑ありの風情。自然に言葉が流れる。
岐阜県和田昌三
一揆踊る仲間は更に五人増え稽古は一気に盛り上がりゆく
〈評〉遠い宝暦の郡上一揆への思いがこめられる。
静岡県江川佐一
スペインは男性がバラの花を贈るらしわれも贈りたし糟糠の妻
そうこう
〈評〉苦労を共にしてきた妻へのいたわりのうた。
大分県渡辺幹生
はめられし冷たき手錠の感触が今も手首にと荒川氏言う
〈評〉ビラ配布への弾圧事件に、皮膚感にて抗議。
福井県元山章一郎
童らが声ひびかせて雪合戦赤青黄のヤッケ輝きて
〈評〉子どもらの明るい声が作品の中からひびく。
新潟県柳川月
故国コリアへ帰る夢果たせず逝きし友日本名丸山末子のままに
〈評〉日本びいきの韓国生まれの友への追悼深く。
東京都鈴木すみ江
わたつみははるけき地震(ない)を伝播(つたえ)きて警報ひしめく2・
28列島
〈評〉地震もまさにグローバル化そのものの姿で。
兵庫県岸本守
「山宣」の石碑を守りぬ旅館主特高恐れぬ勇気賛える
〈評〉信州別所温泉にひそかに守られてきた山宣碑。
新潟県加茂川ハル子
三月前ひそかに喫煙したる友煙草を入れし柩に眠る
〈評〉煙草好きの友も遂に煙草と共に逝ったかと。
2010年4月15日不屈 №430