戦時下にもあった学生運動
市 吉 澄 枝 (84)
戦争末期兄の影響で社会主義を勉強し、治安維持法違反で千葉警察に逮捕。空襲で留置場が焼かれ、皆仮釈放されましたが、21歳の私は焼夷弾の中を特高と逃げまどいました。
昭和十三年末の南京陥落の提灯行列には兄がいた東京帝大では教職員学生四千人が祝賀大行進の記録もあります。そんな中、荒木文相が総長の官選を通告してきたことから、経済学部を中心に密かに反ファッショ、学問の自由を守る運動があった。高校別出身の会合が組織され、官選教授反対署名を集めて教授会を激励。荒木文相の河合栄治郎教授の罷免要求に対して、平賀総長が提案した右翼の土方成美教授グループも同時に罷免する粛学案に賛成署名を集め、右翼教授団の追い出しに成功した。しかし、昭和十五年、社会人になった一人の逮捕から当局の知られ、六八名が検挙されました。
不屈中央版№402 2007年12月16日