フィリピンの基地撤去に学んで
「今日、われわれは、ついに、立ち上がってフィリピンにおける外国軍の存在の四百七十年を終わらせるという政治的意思を行使した」(『こうして米軍基地は撤去された』松宮敏樹著 新日本出版社)。松宮氏は和歌山県出身の赤旗記者。
一九九一年九月一六日に、フィリピン国会は米軍基地の存続を拒否する決定を下しました。冒頭の言葉はホビト・サロンガ上院議長の演説の一部です。基地条約の批准には、上院議員の三分の二以上の賛成が必要でした。定数二四名(欠員一)のフィリピン上院では八人が反対すれば批准は成立せず、採決をとると十一人が反対の態度を表明します。これで、米軍の存続は拒否されるのですが、議長のサロンガ氏は、自身が米軍基地反対の立場であることを明確にしたのです。
サロンガ氏が「外国軍」と言うのは、フィリピンがいろんな外国軍の支配下におかれたからです。フィリピンという国名自体が、スペイン国王の名前に由来したものであり、四七〇年前というのは、南米のマゼラン海峡に名前が残る、探険家マゼランが西洋人として初めてフィリピンに上陸した年(一一五二一年)のことをいいます。
フィリピンは一六世紀からスペインの植民地となり、スペイン軍がアメリカ軍との戦争に負けると、アメリカの支配下になり、その後日本軍がアメリカ軍を追い出し、第二次世界大戦後は再びアメリカに支配される時代が続いていたのです(政治的には独立国家の体裁はとりますが)。
六〇年前、日本が受諾したポツダム宣言は「平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府ガ樹立セラルニ於テハ聯合国ノ占領軍ハ直ニ日本国ヨリ撤収セラルベシ」と明記しています。ところが、秘密裡の安保条約締結によって、米軍は聯合軍から名前を変えただけで居座っています。
それから約五〇年が経った日本は、アメリカから、米軍の先制攻撃軍の一部隊として自衛隊が参戦する国になることを求められています。それが、憲法九条を変えて「集団的自衛権の行使」を書き込むようにする目的です。
いま日本国民は、憲法九条の改悪と侵略国化を許すのか、それとも憲法改悪を許さず、アジア諸国との友好の道を選ぶのかが問われています。
私は、冒頭の本を何度もめくりながら、歴史を前に進める一員として頑張っていきたいと決意しています。
・・・(S・T)