追悼 宮本顕治さんを悼む
治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟
中央本部会長 中 西 三 洋
宮本顕治さんの訃報に接し、私たちの胸裡を走ったのは、「巨星墜つ」という衝撃でありました。
ここに、全国の治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟を代表し、真心込めてお悔やみを申し上げます。
宮本顕治さんは治安維持法による弾圧の最も代表的な犠牲者のお一人でありました。それは、宮本顕治さんが絶対主義的天皇制政治を主権在民の民主政治に転換させ、財閥大企業と半封建的な地主階級の横暴を抑えて国民の暮らしを守り、台湾、朝鮮半島の植民地支配と侵略戦争に反対して平和を勝ち取り、自由と民主主義を確立するというわが国の民主主義的変革の闘いの先頭に立っておられたからでありました。宮本顕治さんをはじめとする戦前・戦中の抵抗者たちの治安維持法下における闘いが日本国憲法に結実したのでありました。
宮本顕治さんはご自身の治安維持法下における闘いと十二年間に及ぶ獄中の闘いの経験と類い希な洞察力にもとづいて、私たち治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟に対して、常に温かな助言と指導をしてくださいました。なかでも、宮本顕治さんが「治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟は、最も大衆的な組織でなくてはならないし、最も柔軟でかつ原則的な政治性を持たなければならない」といわれた言葉は、私たちの運動に大きく深い示唆を与えてくださったものであります。
宮本顕治さんは、「治安維持法下で最もよく闘ったのは共産主義者であった。これは、紛れもない歴史の真実である。しかし、治安維持法の弾圧の犠牲者には、社会民主主義者もいれば、宗教者もいれば、学者、文化人、演劇人、教育者、工場で働いていた労働者も、小作争議に加わった農民もいた。数十万という国民が特高警察に引っ張られ、拷問され、暴力を受けた。その過程で、挫折をした人々も多数いる。治安維持法犠牲者には、多様な思想信条の潮流がある。これらすべての人々の蹂躙された人権の回復が治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟の重要な目的の一つであろう。同盟は、自から大衆性と柔軟で原則的な正しい政治性が求められる」といわれ、私たちの全国大会には十数年にわたって激励のメッセージを寄せてくださったのでした。
私たち治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟は、靖国・皇国史観と新自由主義のイデオロギーを総動員して戦前・戦中の戦争と抑圧の歴史を歪曲し、戦争をする国作りと戦争をする人作りの今日の反動政治と対決して、「再び、戦争と暗黒政治を許さぬ」闘いに、そして、治安維持法犠牲者をはじめとする歴史的役割を果たした人々を顕彰し、その犠牲者に対する国の謝罪と賠償を実現するために、さらに奮闘することを宮本顕治さんのご霊前にお誓い致します。
長きにわたるご指導とご援助、まことに有難うございました。
全国の会員を代表して、弔辞とさせていただきます。
(この弔辞は、八月六日、東京・青山斎場でおこなわれた日本共産党中央委員会の宮本顕治元議長葬儀に際して送った同盟中央本部の弔辞の再録です。)
2007年9月15日不屈(毎月15日発行)№399