「慰安婦」消えない心の傷 中国・海南島/上
日本政府はなぜ謝らないの 「おばあさんの心は苦しい」
中国の最南端に位置し、リゾート地として知られる海南島は、1939年から45年まで旧日本軍の侵略を受け、多くの悲劇が生まれました。強制的に「慰安婦」にさせられた女性も多く、現在確認されているだけでも約20人の生存者が生活しています。海南省の澄邁県に住む3人の元「慰安婦」を訪ねました。
(中国海南省=小林拓也)
海南省の省都・海口から西へ車で1時間ほど走り澄邁県の中心部へ。そこからさらに車で山道を1時間ほど走った場所にあるのが、元「慰安婦」が住む村・中興鎮です。村の周辺にはゴムの木やバナナの木が植えられ、放し飼いの黒豚や鶏が走り回っています。澄邁県は「長寿の里」としても知られ、足腰がしっかりした90歳近い元「慰安婦」たちが元気に迎えてくれました。
銃剣で無理やり
李美金さん(89)、王志鳳さん(89)、符美菊さん(90)の3人は海南島に侵略してきた日本兵に銃剣で脅され、無理やり「慰安婦」にさせられました。17歳前後の青春時代、1カ月以上にわたりベッドもない粗末な部屋に押し込められ、床に敷かれた布の上で1日に2、3人の日本兵の相手をさせられました。
自分の経験を語ってくれた李さんは「アポ(現地語で『おばあさん』)の心は苦しい」と涙を浮かべて記者の手を握りしめました。彼女たちの心の傷は何十年たっても消えることはありません。彼女たちをさらに苦しめているのが、いまだに謝罪も賠償もしない日本政府の態度です。
王さんは抵抗した時に日本兵に何度もビンタされ、耳がよく聞こえなくなりました。当時の恐怖はいまも消えていません。「こんなに暴力を受けて殴られた。でも日本政府からは、謝罪も賠償も何もない。日本政府は一体どうするつもりなのか」と訴えます。
李さんは、「慰安婦」にさせられた後、日本兵から受けた暴力と苦痛が頭から離れず、ショックで何も食べられなくなりました。みるみる痩せて、栄養失調で顔が黄色くなりました。
「私を捕まえて、暴力をしておいて、なぜ日本政府は謝らないのか。いまもし戦争が起きたら、自分には力はないけど、日本軍に仕返ししたい」と話しました。
歴史わい曲憤り
符さんは日本軍の「慰安婦」にさせられた時、恐怖と苦痛で、水さえのどを通らなくなり、瀕死(ひんし)状態に陥りました。父親が家に連れて帰ってからも、1カ月以上寝たきりで過ごしました。
歴史をねじ曲げる日本政府の態度に対し、「考えられない」と憤ります。また日本維新の会の橋下徹共同代表(大阪市長)が「慰安婦制度は必要だった」などと発言したことに関しこう語りました。「私たちは強制的に『慰安婦』にさせられた犠牲者だ。橋下氏のいう『必要』というのは銃剣で脅しながら、恐怖を与えながらの必要だ。その必要は正当化できるのですか」
( 2013年08月01日,「赤旗」)