戦後60年
8月15日に何憶う
敗戦・解放
八月十五日、当局から重大放送を全国放送するという伝達がありました。正午に始まった天皇の放送は、雑音混じりの上に常人離れした発音で、ろくに聞き取れませんでしたが、放送が続くにしたがって拘置所のなかがしんと静まりかえっていき、日本がポツダム宣言を受諾して戦争が終わったことが、収監者にもわかりました。
兄は、刑務所のなかでとぼしい情報をもとに、ソ連参戦の可能性、日本政府の戦争終結の方策などについて分析していて、日本の敗戦の近いことを私たちに知らせていました。日本の帝国主義の敗北によって戦争が終結したことが確認されると、獄中の政治犯のうごきは活気を帯びてきました。これまでの私たちの関心事は、戦争はいつ終わるかにあったのですが、敗戦以後の関心はわれわれはいつ釈放されるかに変わっていきました。看守たちは、これから私たちはどうなるのでしょうか、こらからはあなたたちの時代ですねなどと、お世辞代わりに話しかけてきました。主客が転倒しました。
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十月十日、午後一時をまわっていました。豊多摩刑務所の正面前には赤旗が林立し、インターナショナルを合唱する声が天をつかんばかりの勢いです。私たちがそれまでわれわれを閉じこめていた高いコンクリートの塀に囲まれた刑務所の正面に姿をあらわすと、わーッという歓声があがりました。一〇〇〇人ほどの歓迎の人ごみのなかを私たちはすすんでいったのですが、万感胸にせまり、最初はハンカチで涙をふいていましたが、もう中ごろまですすんだときには涙があふれて歓迎の人々の顔もかすんで、握手攻めにあいながらすすみました。このときほど釈放されたのだという実感をもったことはありませんでした。
東京 中西三洋
(治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟中央本部会長) 不屈中央版から