京大俳句事件のこと
目本には世界にない、俳句、短歌などの短詩形文学があります。
俳句は、少年から高齢者にまで愛されている文学の一つで、人生の断面がえがかれています。
今年の8月19日、50万部発行している京都新聞が、1940年、俳誌「京大俳句」関係者が特高警察によって治安維持法容疑で摘発され、廃刊に追い込ま
れた事実を紹介し、言論の自由の大切さを読者に訴えました。
1925年からの20半開、治安維持法を武器にした天皇制政府は、特高を駆使し国民の自由を圧殺しました。
特高は、演劇から短詩形文学にいたるまでの芸術愛好者に弾圧を拡大、日本社会に暗黒時代をもたらしました。
1940年2月、「京大俳句」誌の同人も京都の特高に襲撃され15名も検挙されます。
京大精神科医師の平畑富次郎さんが「京大俳句」誌の編集発行人となり、同人たちの努力で購読者や投句者は全国に広がり1000人を超すようになりました。
昭和8年に創刊されてから一度も発行の止まったことのなかった「京大俳句」誌も、治安維持法によって昭和15年2月号をもって発行停止となっています。
「京大俳句」誌の弾圧は、平和を愛する俳人たちへの全国的な弾圧の先ぶれとなった事件だったのです。京都の特高による俳人たちへの弾圧は、東京に飛び火し警視庁の特高は、「上土」誌の同人3名、「広場」誌同人5名「俳句生活」誌同人4名、「日本俳句」誌同人1名の計13名を検挙。山口の特高は宇部の俳誌「山脈」同人を、鹿児島の特高は俳誌「きりしま」の同人3名を、三重の特高は、「宇治山田鶏頭陣会」同人2名を、秋田の特高は「さそり座」同人21 を検挙。
俳人たちの平和をひそかに願う優しい作句にまで特高はおそいかかり、圧殺し、暗黒日本をつくりだしたのです。(岡本 康・同盟京都府本部会長) 詳細は「治安維持法と現代」10年秋季号に掲載。
不屈(毎月15日発行)№439 2011年1月15日