韓国平和・連帯の旅に参加して
那賀支部 K・Mよ
10月12日から17日までの5泊5日だった。
韓国へは初めてだった。
県内からは私が一人だったが、国賠同盟の仲間だからと、安心して参加した。
関空からの責任者は塩田一行さんで、参加者一人ひとりにとても丁寧に接しておられ、そのおかげて私は初めての人だちとすぐに打ち解けることができた。
とにかく「参加してよかった!」
旅行のメーンは、上甲米太郎ゆかりの地訪問と東学農民革命の史跡見学だった。
東学農民革命運動は、1894年に起こった。
当時の朝鮮王朝の地方官吏が新たな名目をつけて更なる徴税をやった。
これに全州の農民の怒りが一気に高まり、一大闘争へと発展した。
この革命運動の発祥の地や、無名東学農民軍慰雲塔、東学農民革命記念館(全人中大統領が建てた)、蜂起した時の指導者、全体準の生家跡や古居を見学した。
上甲米太郎が務めていた学校は農村地帯にあった。
児童数は多くなかった。
二校どちらにも豊臣秀吉の朝鮮侵略時の武将の銅像が建っているのには、歴史を忘れない韓国の心意気が伝わってきた。
子どもらは校庭で楽器の練習をしているところだった。
私は、上甲米太郎の還暦の祝いに福岡県大牟田で作られた「わが母の歌」の楽譜をもっていった。
バスの中で、塩田朝子さんのオカリナに合わせてみんな(36人)で練習した。
その夜の夕食会は、韓国の学者先生も参加され大いに盛り上がった。
「わが母の歌」もみんなで歌った。
南京玉スダレもあった。
東学農民革命運動の鎮圧のなかでの日清戦争のはじまり、抗日運動の先駆けとなったということを現地に行って知って、たいへん深く学ぶことが出来た。
有意義な旅たった。
編集部注=今回の同盟主催2010年韓国平和連帯の旅は、全羅北道の全州で、日清戦争に勝利した日本が朝鮮の植民地化を進める中で、それに抵抗する抗日運動の先駆けとなった東学農民運動の歴史に触れること。また、慶尚南道の晋州で、日本占領下の朝鮮で、小学校の教師を務め、朝鮮人とともに生きた上甲米太郎(治安維持法の犠牲者でもある)ゆかりの地を訪ねたものです。
不屈 和歌山県版 №233 2011.1.15