妹尾義郎は1889年12月広島県に生まれました。
1931年、既成宗教の改革をめざし新興仏教青年同盟を結成、各宗派の青年僧侶400人が加盟し、委員長になりました。
反ファシズムを主張し月刊紙「新興仏教の旗の下に」を発行し仏教界の革新運動をすすめました。
「新興仏教」紙はたびたび発禁の弾圧をうけました。
36年12月、妹尾義郎が治安維持法違反で逮捕され、翌年には、新興仏教青年同盟関係者200名余り一斉に検挙されました。
妹尾義郎は、控訴審で懲役3年の判決をうけ巣鴨拘置所に下獄しました。
新興仏教青年同盟への弾圧で、当時中央執行委員だった山本秀順も検挙され、巣鴨拘所に拘留され、懲役3年・執行猶予の判決をうけ
ました。
42年、山本秀順は、松本市外の兎川、霊端寺に入山し、45年、長野県安曇郡高家村に疎開してきた妹尾義郎と親交を深めました。
山本秀順は、53年より高尾山薬王院に入山し貫主を40年余りつとめました。
79年8月、妹尾義郎先生記念会の手によって、高尾山薬王院、仏舎利塔の近くに妹尾義郎顕彰碑が建立されました。
略歴碑は日本宗教者平和協議会理事長・壬生照順が略歴を記しています。
(同盟東京都本部宮田勝)
2010年9月15日不屈 №435